人生を決めた 「父の言葉」 公務の意味と公民館活動

蘭亭山荘主人(北原秋一)

2022年08月23日 08:19









                 天気は 雨



  長野県南木曽町に 、義父の介護のため 帰省中


                毎朝の私の仕事

                義父への 新聞読み、マッサージ を      終えた今






                亡き実父の ことを 考えている ・・・



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①私は長野県の山間地で育ったが、小学校入学時に 革靴で登校するなど比較的裕福な家庭だった
 
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 小学校3年生の時に突然 生まれた家から 出ていかなくてはならない転機が訪れた。

 祖母の難病費用等もあったことから 親たちは 借金して 近くに 家を買うことになった。
 
 



 祖父が口約束のみで 土地の登記をしていなかったことによるが 大きく人生が変わってしまった。

 家族の心にも ある種の わだかまりが 生じた。


    わたしの

    少年の心にも 大きな痛みを 感じた。 この時、自立することの大切な意味を体得する。

    還暦を過ぎた今でも   不思議に つよく残っている。



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 ②私が高校時 亡き父の言葉 「若い時の 苦労は 買ってでも しろ!」 が 脳裏に残る。




    私は、理系の進学クラスであったが, 身体検査の赤緑色弱のため文系進学コースに変更された。
           このため、図書館の本をすべて読破するほど読書に集中し、受験勉強をしなかった私は
  

          父の この言葉もあり 高校卒業したら 自活し ようと 心に決めた。  
                                    (今、赤緑色弱ではない)




     大学紛争もあり・・ ・大学も大学院も 親の援助なしで 働いた自分のお金でまかなった。 





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   ・・・20歳の頃 東京阿佐ヶ谷で3畳一部屋に住んでいたことを思い出す・・・ ・・ ・

   (共同トイレ、雪の中での手洗い洗濯、共同浴場、マグロフレーク缶詰とパンの耳の食事・・・ ・)




       金銭的には貧しかったが しかし 志と ハングリー精神に溢れていた。


                             こころおどる 思い出である

 

{{お金は本と勉学と人との会食に投資し 人の嫌がるような事も 勉強と念じ 

   積極的に 人間力アップに注力した とにかく心の奥が 不思議に 希望・夢に満ちていた }}}




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   ”””20代 最低限に近い生活をしてきたという実体験(原点)が 


  私の人生において 今なお 旺盛なチャレンジ精神・社会貢献の 拠り所”泉” になっている。

 




  チャレンジして失敗しても 

     また スタートの生活(3畳一間)に 戻ればいいさ という



  還暦を過ぎても ”原点”を 忘れずに 持ち続けているようだ。 

           



   ””  私の人生のバックボーン には



  胃がんで亡くなったが、地位等に 執着せず、
    
  休日や夜遅くまで 地域貢献する地方公務(注)に、純に心を燃やす 亡父の姿がある。””


( 注:長野県吾妻村役場・公民館、南木曽町役場 )

                   吾妻村は、日本の公民館活動の発祥の地 




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