2014年02月19日
日本の独立の恩人(ジャヤワルダナ大統領)
大学の研究室
スリランカの友人 アタウダ教授から 初めて聞く名前が・・・・
・・
””” ジャヤワルダナ ”””
・・
”””日本の独立の恩人 「スリランカ第2代ジャヤワルダナ大統領”””
(1906年9月17日~1996年11月1日)
戦後の日本の形の原点をなす 言葉・・
・・
太平洋戦争終了時、サンフランシスコ対日講和会議(注)。戦勝国、特にソ連は日本の植民地化と分割支配を強く訴えていた。現に、ドイツは東と西に、朝鮮半島は38度線で北と南に分割されてしまいました。
この会議の席で、スリランカのジャヤワルダナ大臣(のちの大統領)が「日本は自由であらねばならない、独立した国家として認めるように「憎しみは憎しみによって止むことはなく、ただ愛によってのみ止む」という名演説がありました。
会場は、万雷の拍手に包まれ、日本が自由な国家として国際社会に復帰することができた。
ジャヤワルダナ氏は、その後スリランカ大統領として数々の業績を残し、現在のスリランカ首都の名称にその名前が織り込まれている。
敬虔な仏教徒であり、大の親日家であられた方。
日本で 顕彰碑と銅像がある場所は①八王子・雲龍寺 ②鎌倉・高徳寺 ③信州長野・善光寺 にある。
・・
・・
・・
””” 21世紀の幕開け時 戦後 日本の 原点に帰り そして直視する ””””
((原点:ジャヤワルダナ大統領の言葉))
””” 尊敬し 大切にし 決して忘れてはいけない 人物(言葉)との 出会いを頂いた ”””
”未来感をもった 歴史 の 大切さ を鑑みる。そして ・・・”
還暦を とうに過ぎても 大切な人との出会い 知らない大切な事が 沢山ある。
まず現代史の原点を直視し 謙虚に 耳を傾け 見識・胆識を高め 研鑽しなくては!!!
スリランカの 故ジャヤワルダナ大統領 に 会いに 行って お話をしたいと願っている。
(わが国は 他の国とは違い 人的資源を世界の平和に積極的に貢献すべきミッションの原点に戻り 早急に具現化すること ・・)
・・

注:
「日本国との平和条約は、第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国をはじめとする連合国諸国と日本国との間の戦争状態を終結させるため、両者の間で締結された平和条約。
本条約はアメリカ合衆国のサンフランシスコ市において署名されたことから、「サンフランシスコ条約」「サンフランシスコ平和条約」「サンフランシスコ講和条約」などともいう。1951年(昭和26年)9月8日に全権委員によって署名され、同日、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約も署名された。翌年の1952年(昭和27年)4月28日に発効するとともに「昭和27年条約第5号」として公布された。
この条約によって正式に、連合国は日本国の主権を承認した。国際法上はこの条約の発効により日本と、多くの連合国との間の「戦争状態」が終結した。条約に参加しなかった国との戦争状態は個別の合意によって終了している。(ウイキペデイアより引用)」
スリランカの友人 アタウダ教授から 初めて聞く名前が・・・・
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””” ジャヤワルダナ ”””
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”””日本の独立の恩人 「スリランカ第2代ジャヤワルダナ大統領”””
(1906年9月17日~1996年11月1日)
戦後の日本の形の原点をなす 言葉・・
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太平洋戦争終了時、サンフランシスコ対日講和会議(注)。戦勝国、特にソ連は日本の植民地化と分割支配を強く訴えていた。現に、ドイツは東と西に、朝鮮半島は38度線で北と南に分割されてしまいました。
この会議の席で、スリランカのジャヤワルダナ大臣(のちの大統領)が「日本は自由であらねばならない、独立した国家として認めるように「憎しみは憎しみによって止むことはなく、ただ愛によってのみ止む」という名演説がありました。
会場は、万雷の拍手に包まれ、日本が自由な国家として国際社会に復帰することができた。
ジャヤワルダナ氏は、その後スリランカ大統領として数々の業績を残し、現在のスリランカ首都の名称にその名前が織り込まれている。
敬虔な仏教徒であり、大の親日家であられた方。
日本で 顕彰碑と銅像がある場所は①八王子・雲龍寺 ②鎌倉・高徳寺 ③信州長野・善光寺 にある。
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””” 21世紀の幕開け時 戦後 日本の 原点に帰り そして直視する ””””
((原点:ジャヤワルダナ大統領の言葉))
””” 尊敬し 大切にし 決して忘れてはいけない 人物(言葉)との 出会いを頂いた ”””
”未来感をもった 歴史 の 大切さ を鑑みる。そして ・・・”
還暦を とうに過ぎても 大切な人との出会い 知らない大切な事が 沢山ある。
まず現代史の原点を直視し 謙虚に 耳を傾け 見識・胆識を高め 研鑽しなくては!!!
スリランカの 故ジャヤワルダナ大統領 に 会いに 行って お話をしたいと願っている。
(わが国は 他の国とは違い 人的資源を世界の平和に積極的に貢献すべきミッションの原点に戻り 早急に具現化すること ・・)
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注:
「日本国との平和条約は、第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国をはじめとする連合国諸国と日本国との間の戦争状態を終結させるため、両者の間で締結された平和条約。
本条約はアメリカ合衆国のサンフランシスコ市において署名されたことから、「サンフランシスコ条約」「サンフランシスコ平和条約」「サンフランシスコ講和条約」などともいう。1951年(昭和26年)9月8日に全権委員によって署名され、同日、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約も署名された。翌年の1952年(昭和27年)4月28日に発効するとともに「昭和27年条約第5号」として公布された。
この条約によって正式に、連合国は日本国の主権を承認した。国際法上はこの条約の発効により日本と、多くの連合国との間の「戦争状態」が終結した。条約に参加しなかった国との戦争状態は個別の合意によって終了している。(ウイキペデイアより引用)」