尊敬・魅力をもったカップル 「白州次郎」「白州正子」夫妻
人生において素晴らしい心踊る出会いがある。最近、歴史上の人物によくお会いする機会が多くなった。そうした出会いの人物、”「白州次郎」「白州正子」夫妻”だ。それは数年前、ある雑誌のなかでの遭遇だった。
次郎氏は兵庫県生まれ。イギリス・ケンブリッジに留学。第2次大戦にあたっては、参戦当初よりわが国の敗戦を見抜き東京町田市能ヶ谷(鶴川)に移住、農業に従事する。戦後、吉田茂に請われてGHQとの折衝にあたる。「従順ならざる唯一の日本人」といわれた。通商産業省を設立した人物でもある。
正子氏は樺山伯爵家の次女として東京に生まれる。幼時より能に親しみ、14歳で女性として初めて能の舞台に立つ。アメリカのハートリッジ・スクールに留学し、帰国後まもなく次郎氏と結婚する。戦後は小林秀雄・青山二郎らと親交を結び、文芸・骨董の世界に踏み込む。行動派で自分の目で見、足を運んで執筆する姿勢は終生変わらなかったといわれる。
妻とともに念願だった2人が住んでいた「武相荘」を訪ねた。武蔵野の面影が残る長屋門・茅葺の母屋とても心がやすまる。まずは良い空気が流れ気分がいい。屋敷内も飾られた調度品など品格が感じられるものばかりである。
驚いたことに、妻が習っている紅型の沖縄の染物・織物などもあった。嬉しい・・ 夫妻からは沢山の言葉を頂いた。そのなかの次郎氏の「葬式無用、戒名無用」、「日本人ほど文化文化とわめきながら文化を大切にしない国民がいない。それは自分自身を大切にしないことに通ずる。」の言葉が忘れられない。
肝の据わった人生を送った方だ。竹やぶの片隅にある3重の石塔(次郎氏の遺髪が納められているとのこと)に黙祷する。
2012・3・15
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